| 【玉皇飛雲】 玉皇山は西子湖と銭塘江の間に屹立しており、海拔は239メートル、唐代では玉柱峰と称されていた。五代において育王山に改名した。宋代では玉龍山、臥龍山、龍華山、天真山と称された。明代に福星観が建てられ、玉皇大帝を祀ったため、はじめて玉皇山と言われるようになった。三江の屈曲、六和塔の雄姿は、忽然と隠れ忽然と現われて、特に趣があるため、故に「玉皇飛雲」名づけられたのである。玉皇山はそびえ立ち、風起こり雲の湧きたつ時、うっすらとした霧、細やかな雨は面を打ちながらやってくる、ただ耳のたりに微風をおもむろに感じるのみであり、江と空がつらなるあたりの広々とした様子が目前に見える。このような情景が山頂にあれば体験できるのである。つまり「西子湖が鏡のように映えるのを見、波濤が銭塘に寄せるのを聞く」といった楽しみである。山間には古蹟がたいへん多く、山の中腹には紫来洞、慈雲洞、山頂の福星観の後ろには皇壇、蔵経閣、天一池、白玉蟾井等がある。現在、自動車道路が山頂に直接通じており、新たに建設された望湖楼、登雲閣等が、更にすばらしい景勝地となっている ![]() 「玉皇」は玉皇山のことを指し、民間の伝説では、玉皇は天上から下ってきた一個の美しい玉が変身した姿であり、玉龍?金鳳がこの美しい玉を保護して杭州に到来し、かれらが変身して玉龍山と鳳凰山となったのである。明代、山下に福星観が建てられて、別名を玉皇宮といい、これは道教の玉皇大帝を祀っている場所である。こうして晩清の「西湖三大道観」の一つとなったのである。玉皇山はここから名を得ている。 山下の林海亭から、登山の石の階段は2600段余りあり、盤山公路が山をめぐること2周半、長さは4キロメートル、山頂に直通している。山頂の最高地点には「登雲閣」が建てられており、この閣を登れば、飛雲を足下に見ることになる。玉皇山の主な景観に慈雲嶺造像、紫雲洞、八卦田、七星亭がある。紫来洞は玉皇山の中腹に位置しており、洞の入り口以下には3室の高さの異なる洞室があり、洞中に洞のある形式の「西湖七大古洞」の一つである。洞前には假山花園があり、下を臨めば古迹八卦田がある。八卦田は玉皇山の南のふもとにあり、伝説では南宋の皇帝が自ら農耕を行った籍田の場とされる。田はかつて八角形をしていた。八条の田をあぜ道で区切って八塊とし、中には一つの円形の土もりがあって、遠望すると「八卦」の形にみえることから、その名を得たのである。紫来洞の上方には七星亭があり、亭のかたわらにはもともと清代雍正年間に設置された七つの大きな鉄製の瓶があり、「北斗七星」のように配列され、こうして火龍を鎮めたため、七星缸と称されたのである。この外、玉皇山にはまた白玉蟾井と天一池の二つの著名な旧跡がある。 玉皇宮にはかつて最大規模の道教建築があった。真武殿、大羅宝殿、三清殿等が今なお人びとに玉皇山の宗教的景観を回想させるのである。玉皇山には樹木が生い茂っており、一年中、四季を通じて山の色は同じではない。春には、山いっぱいに山ツツジが咲き、群がり、ひるがえり、まるで紅の雲や霞が、緑の山林を漂っている様を彷彿とさせる。夏には山の緑は更に深くなり、林は更にひっそりとほの暗くなるのである。秋には、山の緑が脱ぎ捨てるように抜け落ちると、紅葉が引き続いてやってくる。冬には、全山木が雪に覆われると、遠望すれば、あたかも白雲がかぶさっているようである。もし細やかな雨に遇えば、首を伸ばして見ると、かえって全く雨の便りが無いようであり、あたかもこの山では、まことに、予\兆もないのに、列をなすたなびく雲やもやが舞い上がっていくようである。山の中腹より眺めると、八卦四景をことごとく目の中に納めることができ、実に一眼ですべてを見尽くす感がある。欄干にもたれてゆったりと広々とした銭塘江、高くそびえ立つ六和塔を遠眺すれば、松の声、竹の韻が伴ってきて、仙人の台閣に登るが如きのようであり、雲海の上に乗るようである。まことに玉皇山は景勝地を集めたが如き一大奇観である。 |
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