| 【杭州の文化】 范蠡と西施ゆかりの地 竜井茶とリゾートのふるさと 妙なる西湖と銭塘江 西湖は、杭州の魂ともいえる存在である。宋代の詩人・蘇東坡は、「西湖をもって西子に比せんと欲すれば、淡粧 濃抹 総て相宜し」との詩を残し、絶世の美女とうたわれた西施の比喩によって、そのすばらしさを形容した。絶景は枚挙にいとまがないが、特に、「三潭の印月」「雷峰の夕照」「蘇堤の春暁」などの西湖十景は、中国人なら誰でも知っている。 西湖は、杭州の西に位置し、三方を山に囲まれている。湖の東には南北に3・3キロ、東西に2・8キロの市街区がある。蘇堤と白堤は、街をまたぐ形になっていて、西湖を里湖、外湖、岳湖、里西湖、小南湖の五つに分けている。西湖と杭州の街並みは一体となり、自然と人工物を結合させている。 知らない人が多いが、かつての西湖は、今の倍の大きさがあった。史料によると、唐代にその面積は約10・8平方キロ、宋・元代には約9・3平方キロだったが、いまではわずか5・6平方キロでしかない。 面積が縮小しているのはなぜだろうか。専門家は、「土砂の堆積が原因。西湖は、大量の土砂が少しずつ堆積してできたラグーンで、土砂堆積は、西湖の変化の過程では避けられない現象である」と説明する。唐の白居易、北宋の蘇東坡、明の楊孟瑛は、有名な杭州の知府(府知事)だった人で、西湖を浚渫し、人々に恩恵を与えた。人々は、彼らに感謝するため、西湖の長堤をそれぞれ白堤、蘇堤、楊公堤と名付けた。清の乾隆帝の時代には、一部の庶民が浚渫した土砂を堤として、残った土砂を湖の西側に敷いて平らにし、水田を作ったことで、いまの西湖の風景が出来上がった。 西湖を清の頃の美しい風景に戻すことが、庶民の願いである。美しさを取り戻し、市民に美しさを味わってもらうため、2003年、杭州市は正式に「西湖西進」(西湖を西に進める)プロジェクトをスタートさせた。「西進」が実現すれば、西湖の水が西に数キロ離れた山のふもとまで引かれることとなる。これにより、水域面積が拡大されるだけでなく、趣のある多彩な景色が味わえるという感覚を与えるだろう。西湖が観光客に見せる姿は、鏡のような湖面だけだが、水面と陸地の密接な関係は、市民と西湖の関係をさらに深いものに変える。 名高い「西湖十景」の基礎の上に、杭州っ子は、「満隴の桂雨」「玉皇の飛雲」「雲棲の竹経」などの「新十景」を選んだ。新しい西湖は、観光客に無限の楽しみを与えるだろう。
杭州の景色の美しさは、温暖湿潤な気候が影響している。ここでは、年間を通して雨が多い。銭塘江は、杭州を通って東中国海に流れ込んでいて、満潮の際に銭塘江が逆流する情景が、呼び物の一つとなっている。銭塘江の逆流は、毎月1日または15日からの2日間に見られ、特に、旧暦8月18日前後の数日に、最も壮観な逆流を目にすることができる。銭塘江の河口は、海側が広く、内陸側が狭いラッパ状をしている。海と河の境界は、幅が100キロにもなり、西の内陸にさかのぼるにつれて20キロ前後に狭まる。最も狭い場所では3キロ程度しかなく、満潮時の逆流は、地形の影響で徐々に大きな波となり、まるでそびえる水の壁のように西へ向かって進む。最大で9〜10メートルの高さとなり、万馬が疾走し、雷鳴がとどろくようなので、「銭江秋涛」としても名高い。早くは唐、宋のころに、逆流の見物が流行っていた。多くの詩人がこれをたえず吟詠し、蘇東坡の詩には、「8月18日の潮、壮観なること 天下に無し」とある。 杭州周辺には、銭塘江のほかにも富春江、新安江、千島湖などがあり、それぞれの山水が独特の魅力をかもし出している。 |