| 【杭州の文化】 范蠡と西施ゆかりの地 竜井茶とリゾートのふるさと 妙なる西湖と銭塘江 杭州は浙江省の省都である。中国東南部の沿海、長江デルタの南側にあり、上海、寧波、南京の近くに位置する。中国でも有名な観光の都市であり、歴史と文化のふるさとである。古くは春秋戦国時代、杭州は古越文化の中心だった。そこには越の賢臣・范蠡と、美女の西施(古代中国の「四大美人」の一人)の物語が伝えられる。 当時、呉に敗れた越国の王・勾践は、敗国の辱をすすごうとした。范蠡は国の復興のため、涙をのんで恋人の西施を呉王夫差のもとへ送りこんだ。夫差は色におぼれて、政治をおろそかにした。越王勾践は臥薪嘗胆して、雪辱を期すときを待った。10年の辛抱をへた勾践は、范蠡らの協力のもと呉を破り、都(今の蘇州)を攻落、ついに呉を併合したのだ。その後、范蠡は西施とともに太湖のほとりに落ちついた。商いに生き、のちに商家の始祖として祭られるようになった――といわれる。 杭州はまた、中国の「良渚文化」の発祥地である。今から約5300年前の新石器時代、長江流域に住んでいた古代人の文明である。ここから大規模な「犂耕稲作農業遺跡」が出土して、世界でも見事な彫刻のある玉器が明らかとなった。玉器の表面には「原始文字」が刻まれており、中国に文字が出現する序奏になったとされている。この良渚文化は中国考古学史において、きわめて重要な位置を占めている。
南宋時代に、杭州は都となった。異民族の侵入により、中国北方民族が戦乱を逃れて次々と南に移った。彼らが杭州一帯にやってきたとき、南方特有の美しい景色に惹かれない者はなく、その多くがここに住みついた。当時、杭州一帯には商人が大勢集まり、商業がかつてない繁栄時代を迎えていた。宋代の詩人・柳咏は、かつて杭州をこう評したことがある。「東南形勝、三呉都会、銭塘自古繁華」(東南は地勢にすぐれ、蘇州・常州・湖州の三呉の都会と銭塘が、古くから繁栄している)と。
このほか杭州は、多数の歴史的人物や文人墨客が集まる場所でもあった。唐・宋代の大詩人・白居易、蘇東坡(蘇軾)をはじめ、母の手により背中に「尽忠報国」と入れ墨をした英雄・岳飛、近代の文豪・魯迅、郁達夫などが、みな貴重な文化遺産をここに残した。「梁山伯と祝英台」「白蛇伝」「済公」などの民間伝説もここから広く伝わった。それらのゆかりの地は現在、杭州の一部となっている。ANA中国杭州支店の小林弘幸支店長は、「杭州は非常に豊かなところで、経済発展が著しい。また、美しいリゾート都市でもあります。直行便の開設は、日中両国の人々の共通の願いでした」と、就航の喜びを語る。 |