【浄滋寺】
浄滋寺は南屏山の慧日峰の麓にあり、1983年国務院によって漢族地区仏教全国重点寺院に指定された。
ここの峰々は重なり合って聳え立ち、みごとな怪石、青々とした松や柏、小雨に煙る山の景色、古刹名山が互いに照り映えている。
浄滋寺は、西湖の周囲にある第二の名刹で、「濡れた赤い花が地に映え、高く青々とした木が空に接している」様は、霊隠寺とともに南北両山の雄と称されている。
北宋時、寿寧禅院と改名し、南宋になると、また浄滋報恩光孝禅寺と称した。略称は浄滋寺あるいは浄滋禅寺である。歴史上何度か建造と破壊とを繰り返した後、南宋嘉定十\三年(1220年)夏に再び建造され、五年をかけて五百羅漢を塑像して羅漢堂に祭った。浄滋寺の規模は霊隠寺とほぼ同じで、殿宇が十\棟、舎が五百余間ある。蘇東坡は、「臥して聞く禅老南山に入り、浄掃清風五百間」と述べた。禅宗五山のひとつに数えられている。明清以後はまた破壊と再建とを繰り返した。。
今日の浄滋寺は、前、中、後の三大殿が並び、中央の大雄宝殿は1960年に再建されたもので、重檐が山頂に憩っているようで、黄色い琉璃瓦の屋根は端正で荘厳である。
大雄宝殿の西に済祖殿があり、殿の前には、済公が木を運んで寺を建てたという由来のある、運木古井がある。これは浄滋寺で最も伝奇的色彩に富む殿堂であり、殿内には女性や子供でも知っている済公の像が祭られている。浄滋寺の山門の右には「南屏晩鐘」碑亭があり、これは杭州の有名な西湖十\景のひとつである。──南屏晩鐘はここで打つ。浄滋寺の鐘声は歴史上評判が高い。伝えられるところによると、康熙帝は西湖十\景を楽しみ、庭や楼閣を拡張した。また浄滋寺の山門の外に碑亭を建て、「南屏晩鐘」の四字を刻したそうである。西湖十\景のうち、南屏晩鐘が最も名高い。しかし惜しいことに清朝末年、銅鐘は戦乱の中で消失し、鐘声は聞くことができなくなった。
1984年10月になって、浄滋寺は日本仏教界の協力の下、再び銅鐘を鋳造した。1986年11月21日中日仏教界人士400人余りが浄滋寺に集い、盛大な大梵鐘落成法会を挙行し、108つの力強い鐘声が西湖の上空にこだました。こうして百年にわたり響きの絶えていた南屏晩鐘は再び鳴り響き、祖国の美しい山と湖をさらに美しく輝かせた。この銅鐘は浄滋寺が再建した二層三檐の鐘楼に吊るされており、高さ3.6メートル,直径2.3メートル、重さ一万キログラムである。造形は古風で素朴、外側には『大乗妙法蓮華経』6.8万余字が鋳込まれている。鋳造は精緻で、一回打つと、余音は2分もの長さに達し、余音嫋嫋、まことに重厚で思わず聴き入ってしまうほどである。
浄滋寺後院には、宋代の高僧如浄禅師の墓塔が保存されている。日本仏教曹洞宗の始祖道元は入宋して、曹洞宗第十\三代祖如浄禅師のもとで三年学び、曹洞宗禅法と法衣を授かり帰国した。従って今日、ここを参詣する日本曹洞宗の信徒は後を絶たない。 |
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