【径山寺】
径山寺は唐代に創建、宋代になって栄え、「東南第一の禅寺」と称され、「江南五山十刹の首」の名を冠された。多くの高僧を輩出し、法師は灯を伝えること百代以上となった。唐天宝年間、法欽(道欽)がここに庵を結んで法を伝え、径山寺開山の祖となった。宋代、高僧が前後三十年にわたり径山寺の住職となり、「看話禅」を唱導し、道法は一時隆盛を極めた。明末、高僧紫柏大師は径山にて『大藏経』を刻して「径山藏」と称した。遊歴した歴代名士も多く、日本僧もたびたび径山寺で修行し、中日文化交流を促進した。唐以来、国内外で教えを伝授した高僧は九十名以上に上り、彼らはここで修行、仏法学習を主宰し、仏経講釈、仏学研究における径山の名声を高めた。仏教臨済宗は径山において振興し、十三世紀に日本に伝わって、日本仏教において最も強い影響力をもち、最も多い教徒を擁する臨済宗の祖山となった。現在、径山興聖万寿禅寺の修復落成開眼に伴い、祖山を参拝する日本の友人は後を絶たない。これは径山が仏教的側面を発展させるにあたって、国際観光の潜在力をもかなり持っていることを示している。
径山茶は寺とともに起こり、茶宴の儀式および茶宴用具一式を有していた。これが日本に伝わり日本の国芸のひとつ茶道に発展した。そのため、径山茶宴は日本茶道の源であると言うことができる。茶聖陸羽はかつてここで茶を植え、経を著し、さらに『茶経』を撰著し後世にその名をとどめた。径山茶は歴史的銘茶となり、竜井に劣らず有名である。宋代から清代に至るまで朝廷の「貢茶」となった。歴史的銘茶は異彩を取り戻し、現在茶葉コンクールでは毎回大賞を獲得し、国家クラスの最優良銘茶となった。茶文化を充分に発掘発揚すれば、博覧会、観光、歴史めぐりなどの多彩な観光事業を展開することができる。
径山風景地区における仏教文化、茶文化の歴史は古く、名勝旧跡は多い。歴代君主等による各種の序文が60余編、文集80余巻、刻印した『大藏経』6958巻がある。歴代名士による作品、例えば蘇東坡、范仲淹、陸游等の詩詞、訪游記、碑記500余首(編)がある。幾たびの風雨転変を経ても、径山にはなお唐代の竜井、宋代の孝宗皇帝の御碑をはじめ、元代の石塔等の古跡が10個所余り、竜潭飛瀑、霊岩喝石、松源天風、竜鼻噴泉等の名勝が100個所余りある。
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