| 断橋残雪 | 平湖秋月 | 曲院風荷 | 蘇堤春暁 | 花港観魚 | 南屏晩鐘 | 雷峰夕照 | 柳浪聞鶯 | 三潭印月 | 双峰挿雲 |
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| 【断橋残雪】
詳細>>> 白堤の北の端に架けられたアーチ型の橋。雪景色の時も橋の上の部分だけは先に溶け、そこだけが灰褐色の地面を見せる姿に、断橋という名がある。民話「白蛇伝」の中で、白素貞と許仙がめぐり合った場所は、他ならぬこの断橋である。 【特色】宝石山、保俶塔とあわせて杭州西湖のシンボルとなり、冬には雪景色を観賞する最高の場所。断橋は「白蛇伝」の伝説に関わり、ロマンチックの色彩に富み、「三大愛人橋」の中で一番有名である。 【歴史】唐代は木の橋であって、「段家橋」と呼ばれたが、南宋時代、「断橋残雪」と命名された。清の康熙38年に、康熙皇帝の自筆で碑を作り、1914年には石橋に改築された。 【景勝】湖面、山景、「雪水光中」亭、御碑亭 |
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【平湖秋月】
詳細>>> 白堤を進むと孤山に至る。そこの庭園である。中秋名月の夜、ここから臨む満月と、湖水に揺らめくうつる影は最高。その美しさは「万頃湖平長似鏡、四時月好最宜秋」(万頃の湖 平かにして長く鏡に似たり、四時の月好けれども 秋最も宜し)の句にいい尽くされる。 【特色】月を見る三つの名所の一つであり、春夏秋冬であろうと、曇り、晴れ、雨、雪の日であろうと、湖の景色を満喫できる最適の場所である。 【歴史】唐代に望湖亭を建て、南宋に「平湖秋月」と名付けられた。明代にここで「龍王祠」を作り、清の康熙38年、御書楼と改築され、建物の前にベランダを作り、更に碑亭も建てた。 【景勝】御碑亭、茶楼、平台、八角亭、湖天一碧楼 |
| 【曲院風荷】
詳細>>> 岳飛廟の向かいにあり、宋代には宮廷の酒を醸造する曲院があり、庭には蓮の花が植えられていて香が風にのって漂ったためこの名がつけられた。蓮の花がいっせいに開く夏、天と交わらんはかりの葉の青さと、風にそよぐ花の白みがかったピンクのコントラストが美しい。 【特色】「蓮」を中心にした大型公園 【歴史】洪春橋近くの湖面に蓮を植えて、原名は「麹院風荷」であったが、清の康熙38年皇帝の勅名で「曲院風荷」と改名され、岳湖の畔に石碑を立て、ただ一碑、一亭の狭いところであった。1980年に拡張し、岳湖、金沙港と郭荘を一つにつなげ、蓮の陳列室も設けた。 【景勝】迎薫閣、蓮陳列室、波香亭、花廊下、湛碧楼、石舟、密林区 |
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【蘇堤春暁】
詳細>>> 春夏秋冬、朝夕、微妙に美しさを変えつづける蘇堤であるが、故人が言うごとく、「四時皆宜しというも、春暁を最とす」で、春早朝、霞がかかった中、しだれ柳の枝でウグイスが鳴く情景が最良とされる。 【特色】西湖十景の中心。蘇東坡が杭州を治める業績の一つで西湖を疏浚した泥で作った長い堤である。西湖観賞の場所。 【歴史】北宋の哲宗元佑4年から6年(1089-1091年)、蘇東坡は二度目の杭州知事の任期中に、1090年に杭州の軍民を動員し、西湖の泥を掘り出した。蘇東坡と両浙の兵都監劉景文の共同の指導の下で半年で長さ2.8キロの堤を完成した。蘇東坡が離任した時はまだ名をつけていなかったが、林希が知事になり、蘇東坡を記念して蘇公堤と名付けた。蘇堤春暁は南宋の画家がつけた。 【景勝】御碑亭、夕陽亭、仁風亭、映波橋、鎖瀾橋、望山橋、圧堤橋、東浦橋、跨虹橋 |
| 【花港観魚】
詳細>>> 花港の名は、かつて花家山から流れ出た渓流が、ここを通って西湖に流れ込んでいたことに由来する。花港観魚の名で呼ばれるようになったのは宋代のこと 。 【特色】鯉と花を観賞する一番良い場所で、江南園林芸術と西洋園林芸術を結びつけた大型の公園である。 【歴史】南宋の時、ここは内侍官盧允昇の個人の庭園で、彼は池を作り、鯉を養殖し、「盧園」と名付けた。南宋の画家は「花港観魚」と呼んだ。清の康熙38年、皇帝御題の碑を立て、面積はわずか1800平方メートルで、石碑とあずまやしかなかった。1956年と1959年数回拡張し、今の敷地面積は20ヘクタールになり、芝生は8万平方メートル、花の栽培面積は1500平方メートルである。珍しい植物が200種と1000本以上の牡丹と芍薬が植えられ、緋鯉が7000匹以上養殖されている。 【景勝】御碑亭(盧園旧居)、蒋荘(馬一孚記念館)、紅魚池、牡丹園、紅杉林 |
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【南屏晩鐘】
詳細>>> 南屏山の麓にある淨慈寺の大鐘から鳴り響く鐘の音が、もやのかかった雷峰(寺の近くの夕照山の峰の名称)に余韻を残しす情景に、えもいえぬ趣があったことから「南屏晩鐘」といわれるようになった。淨慈寺は954年呉越王銭弘俶によってたてられた。 【特色】日本曹洞宗と深い関わりがある南屏晩鐘は浄慈禅寺の重要な景勝であり、中にある大銅鐘は10071㎏ もある。 【歴史】鐘楼は最初は明の洪武11年(西暦1328年)に建立され、清の康熙38年、皇帝が命名して、碑を立てた。清の末期には鐘楼は火事で焼かれ、百年もの間に鐘音が消えていた。1985年に日本曹洞宗大本山永平寺は「懐徳祖庭・感恩法乳」という精神で、再び青銅の梵鐘を作り、1986年秋に再び鐘が響き渡った。 【景勝】鐘楼、重修鐘楼記、銅鐘、仏殿の建物、運木古井 |
| 【雷峰夕照】
詳細>>> 雷峰は夕照山の峰。雷峰の上に雷峰塔が建つ。呉越王銭弘俶が王妃のために建てたものと伝えられる。夕日の残照がとくに美しい。この雷峰塔は1924年に崩れ落ち、その姿を見ることが出来なくなったが、雷峰山の頂から鳥瞰する西湖の姿は、塔なき今も艶やかだ。 【特色】西湖の北側にある宝石山の保俶塔と対称しており、南山景色の中の景勝地 【歴史】北宋の975年に建立、1924年に倒壊した。昔は雷氏が庵を造ったので「雷峰」という地名を付けた。後に呉越王は王妃黄氏が男の子を産んだことで黄妃塔とも呼ばれた。民間では「雷峰塔」と呼ぶことが多い。最初の計画は13層の塔を建てる予定だったが、呉越国が滅亡の危機に面し7層まで造った。 |
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【柳浪聞鶯】
詳細>>> 西湖の東岸に広がる公園。春にしだれ柳が芽吹き、鶯の声を聞くときの風景からこの名がつけられた。 【特色】主な景色は柳で、大型提灯祭が開催される。 【歴史】南宋時代、皇帝の御苑であった。明代以来何回も修復し、1978年に江南別荘風の庭園に改築された。1963年、杭州市と岐阜市は共に「日中不再戦」の石碑を建てた。敷地内の「百鳥の天国」で酔柳、浣紗柳、獅柳などの垂柳は約500本植えられている。 【景勝】聞鶯園、友誼園、聚景園 |
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【三潭印月】
詳細>>> 【特色】「湖の中に島があり、島の中に湖がある」といわれている。西湖にある三つの島の中で、面積が一番広く、景色の一番美しく、また一番人気を呼んでいる三潭印月は、「小瀛洲」とも呼ばれ、「蓬莱仙島」にたとえられている。中国江南の水上庭園芸術の代表作となっている。湖の中にある800年前に造った石塔は高さ2mで、有名な三潭印月の主景である。球形の塔身は中が空で、周りに五つの穴が等間隔に並び、明月の夜に大きな蝋燭を入れる。「天上は明月ひとつ、水中は影三つ」が三潭印月の由来である。 【歴史】明の万暦年間、西湖を疏浚した泥で丸い堤を作った島である。明代に、北宋時代の蘇軾のまねをして、島の南の湖面に石塔を三つ作った。清の雍正5年、南北の橋、東西の堤を一つにし、島の中の通路は「田」という字の形になり、庭園の建築と園林の風格はその時から形成された。 |
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【雙峰插雲】
詳細>>> 西湖の西、霊隠路に沿って九里松原がある。雨雲が低く垂れこめた日に峰峰を見渡すと、その近くの北高峰と南高峰に流れる雲や霧が山水画を見るようである。 【特色】湖に舟を浮かべ、遠くから山の景色を眺める。 【歴史】南宋の画家は最初「両峰插雲」と題し、清の康熙38年、皇帝が「雙峰插雲」と改名した。西湖十景の石碑は殆ど西湖の周辺にたっているが、山景色の有名な南高峰、北高峰の高さはそれぞれ259メートルと313メートルで、二つの峰の距離は3.6キロある。 【景勝】碑亭、双峰、山色わ眺める一番いい場所は湖心亭。ここから南高峰まで3.5キロ、北高峰まで4.5キロ離れ、両方の視角は50°で一目で満喫できる。 |